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Monday, October 12, 2009

左近の桜、右近の橘

平清盛に続き、「平治物語」の隠れた主役といえば、清盛のトイメンであった源義朝ではなく、義朝の長男、鎌倉悪源太義平でしょう。

15歳で坂東における源氏内輪の戦い(と思われる)武蔵大蔵の戦いで伯父の義賢を討ち殺し、平治の乱では数え19歳の若さで熊谷直実、三浦義澄等など後世までその名が轟く坂東猛者16騎を率いて、清盛の嫡男、重盛率いる平氏方500騎を蹴散らした(といわれる)、とんでもない快男児です。

平治の乱当日、平治元年(1159年)12月27日の義平の出で立ちは、

「練色(薄黄色)の魚綾(織物の名)の直垂に、八竜とて胸板に竜の金物を八つ打ちつけた源氏重代の鎧を着、高角の胄をかぶり、河内ノ有成が鍛えた石切という名刀を佩き(この太刀は後に後白河院の愛刀となった)、鷲の羽の矢を負い、重藤の弓を持ち、鹿毛なる馬に鏡鞍(前輪と後輪に金属を巻いて鏡のように磨き上げた鞍)をおいて
またがっているのであった。」(海音寺潮五郎「武将列伝」より「悪源太義平」)

とある。

対する平重盛は、

「この時、重盛は二十三、赤地錦の直垂に櫨匂いの鎧を着、竜がしらの兜をかぶり、平家重代の小烏丸の太刀を佩き、重藤の弓を持って黄桃花毛の馬に柳桜を青貝で摺った鞍をおかせてまたがり...」(同上)

とある。

この二人が「平治物語」では、「ベン・ハー」の戦車競争よろしく、左近の桜、右近の橘の間を七・八回追いかけ回すことになっているのですが...。

これを色彩で捉えようとすると...

う〜ん...難しいですね...

「練色」の着物とはこんな感じ。






矢に用いる鷲の羽とはこんなもの。












鹿毛の馬...









そして鏡鞍。












悪源太はこんな感じかな...







一方、重盛は...

「櫨匂い」、「櫨匂縅」の兜とは、こんな感じらしい。







「黄桃花毛の馬」というのはイメージしづらいですが、一応これが黄桃花。






重盛クンはこんな感じだろうか...







このkuler、いろいろ遊べるので、これも今度時間のあるときにもっといじってみよう。
(という私は先天性の色盲です。)

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