
1492年、コロンブスが新大陸を発見。
1516年、ハプスブルグ家のカール君(神聖ローマ帝国皇帝カール5世、スペイン国王カール1世)がスペイン国王の地位を継ぐ。1517年より親政(1555年まで、お母さんのフアナ女王と共治)。
1526〜7年、ピサロがインカ帝国を発見。南アメリカがスペイン勢力によって「アヴァター」化してしまう。
新大陸の金銀により、スペイン帝国の最盛期が到来。
しかしカール君はオスマントルコや、ヴァロア朝フランスとの戦争に奔走。国庫の浪費を余儀なくされる。
1556年、カール君の息子、フェリペ2世がスペイン国王に即位。同時に膨大な借金も受け継ぐ。
1557年、スペイン、最初の国家破産(債務不履行)宣言。
1581年、オランダ諸州がフェリペ君の統治権を否認する。オランダはプロテスタントの商人が多く流入していて、お金にだらしないくせに、やたら権勢を振りかざす王様に愛想が尽きていた。
1596年、フランスとイングランドが(スペインと対抗する意味で)オランダを独立国家として承認。
1602年、オランダ東インド会社設立。本格的に対スペイン(ポルトガル)通商戦争に乗り出す。
1609年、スペインと12年間の停戦条約を締結。
1621年、戦争再開、オランダ独立戦争は三十年戦争へと発展。
1648年、三十年戦争の終結。ミュンスター条約でスペインがオランダの独立を認める。
カソリック君主国であったスペイン(ポルトガル)との戦争を通じて、プロテスタント・オランダ人は個人主義と自由主義を発見する。
当時、カソリック熱(主な症状:王権神授説を信じ、絶対君主を気取る)にやられていたイングランド王(元はといえばスコットランドのスチュアート家)、チャールズ君やらジェームズ君の下で、窮屈な思いをしていたジョン・ロックも亡命先のオランダで歓迎されたし、国際法の父グロティウスもこの時代のオランダ人だ。スピノザにいたっては、ポルトガルでの迫害を逃れてオランダにやってきた、セファルディム系のユダヤ人だ。
こうして経済的にも、哲学的にも自信を得たオランダ人たちに、今までは王様の家の装飾でしかなかった絵画で、自分たちの「集合写真」を残すことが流行る。最初はこんなカンジ。

それを、
「もっとアートしようぜ!」
と、大胆な構図にしちゃったのが天才レンブラントなわけだ。
この「夜警」の絵を語るとき、人はレンブラントの「光」の使い方を特筆するが、私はこうしたオランダ人たちの歴史、
「カソリック教会もスペイン国王もなにするものぞ」
と、絵の中でもそれと分かるぐらいハリキッテいる彼らのプライドに思いを馳せた方が楽しめるのです。(だからこそ「同じ料金払ったのになんでオレの顔がこんなに端っこなんだ!」とレンブラントに文句を言った人もいたとか。)
なんてったって、こいつら今のインドネシアのジャワ島や日本の平戸まできて、スペイン・ポルトガル勢力とタイマン張っていたんですからね。たいしたもんです。
こちらも当時最先端をいっていたテック・ギークたちの集合写真といったところ。